2007-09-30(Sun)

ロマノフの血脈




小説というモノをあまり読まない私ですが、ロシアについていろいろと勉強中につき、今回このような本を購入して読んでみました。

ロマノフの血脈(上巻)

ロマノフの血脈(下巻)


ロシア革命のさなか皆殺しにされたはずの皇帝ロマノフ家の生き残りがいることを突き止め、ユスポフらが残したなぞを解きながら、子孫を探す主人公マイルズ・ロード。
そして彼と行動を共にするのは、偶然列車内で知り合ったサーカスの曲芸師アキリナ・ペトロブナ。
この二人こそ、謎が示すロマノフ再興の鍵となる、「烏と鷲」。

追っ手のマフィアからの命の危険に晒されながら、どちらが早く謎を解くか、その謎にたどり着くか、息をつかせないハラハラドキドキです。
マフィアの仲間が、あろうことか、ロードの弁護士事務所の上司。
上司が自分の命を狙っているとは、まったく気づかず、これがまたハラハラのもと。


ロードは果たして、命のあるうちにロマノフの子孫を探し出せるのか?
ロードとアキリナの男と女の物語は・・・?


特にアキリナが登場してからの後半は、寝る間も惜しみ、仕事の休憩時間が終わったのも忘れ、夢中で読んでしまいました。
久しぶりに作り話である小説にのめりこみました。


かつて皇帝がいた国ロシア。
共産主義という帝政よりひどい(ともいわれる)時代を乗り越え、現代に暮らすロシアの人々は、皇帝の子孫が生きていたらなあ・・・なんて思っているのでしょうか?
心のよりどころとなれる皇帝の復活を望んでいるのでしょうか?

日本は、幸いにして天皇制が存続しています。
政治には介入しないし、日常生活には何の関係もないけど、日本に天皇家があるだけで、日本は日本らしくいられる気もします。
もし、終戦時に天皇制を廃止していたら・・・
しかも、反対派とか、戦争責任を取らされてとかで、殺されていたら・・・


日本に天皇がいるだけに、ロシアの人々の思いを知ってみたくなります。


最近の翻訳本は、本当に文体が読みやすい。
日本人が日本語で書いた小説を普通に読んでいるように、言葉がスーッと頭に入ってきます。

1,2ヶ月前から、1988年ごろ出版された、「マリア・テレジア」という翻訳小説を読み始めましたが、翻訳にありがちな、まどろっこしい表現、日本語でそういう言い方しないだろう、という表現が多くて、進みません。
内容は面白そうなのに。

スティーヴ・ベリーさんの作品、富永和子さんの翻訳作品を、ちょっとこれからチェックです。


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2007-09-26(Wed)

日照時間と首相の寿命




今朝のTBSラジオ「日本全国8時です」で、森田正光さんが、自分の会社の男性社員が発見した説として、面白いことを話していました。


日照時間と首相の寿命の関係。


首相就任式の日の日照時間が長いほうが、長期政権になる。

例えば、佐藤栄作さんや、中曽根康弘さん、最近では小泉純一郎さんらの就任式当日の日照時間は、6時間以上あったのだそうです。
大体晴れの日。

それに対して短命だった、羽田孜さん、細川護熙さんなどのときは、曇りや雨など、0時間とか、1時間程度とか・・・
安倍さんが一年前なったときも、大雨だったと。


さてさて、今日。
福田康夫さんの首相就任式の日。
早朝から爽やかな秋晴れで、いいことがおこりそうな晴天。
森田説どおり長期政権となるのでしょうか?
それとも?


私的には、福田氏の温和な表情、嫌いではありません。
父上の福田赳夫氏に比べても癖のない顔立ち。
政治家というより、企業の部長さんとか、専務さんとかにいそう。

アメリカの言いなりにならずに良い関係が築ける国にしてほしいなあ・・・と。

プーチン大統領が目指すロシア・・・外国から敬意をもたれる国づくり、これを日本もやってほしいなあ・・・


政治のことはわかりませんが、暮らしやすい日本に暮らしたいですから。

2007-09-23(Sun)

22時間の寝台車・・・ハルピン旅行記






1991年1月末から2月初めにかけての、寒暇の旅行には、寒さ体験と決めていましたので、迷うことなくハルピンを目指しました。

聞くところによると、夜はマイナス40度、昼間でもマイナス10度は上がらないと。
それまでの一番寒い体験は、韓国ドラゴンバレーのマイナス11度。
ちなみに一番高い気温体験は、地元熊谷。


北京から22時間あまりの列車の旅を終え、降り立つハルピンは、北京の寒さがぬるく思えるほどでした。

ハルピンへの列車


ハルピン駅


寒いというより痛い頬。
鼻毛が凍り、睫毛もくっつき、息ができない目が開かない。
こりゃやばいところへ来たもんだ、と少々不安に。

まずは宿を探すため、旅行社を探してみました。
何をどう手をつけていいかわからなかったため。
突然その日の宿を探すため訪れる留学生は珍しかったと見え、向こうも何をどうしていいのかといった様子。
とりあえず、黒龍江大学の留学生宿舎を紹介してもらいました。
また、帰りの切符もすぐに取ったほうがいいとアドバイスを受けました。
なにしろ、中国人大移動の季節ですから。
普段でも混んでいる列車が、更に通勤時の山手線並みに混むのです。
T州から北京への列車は、無謀にも硬座自由席だったものだから、山手線に乗るときのように背中を押してもらい、やっと乗れました。
大きな荷物は乗るとき邪魔になるからと、見送りの仲間に窓から入れてもらったほど。
通勤の山手線に基本立ったまま10時間以上です。
一緒に行った友達と日本語で話しているうちに日本人だとわかると、皆さん「ここへ座れ」と席を空けてくれたり、親切にしてくれました。

でもその列車は、一度でもう十分なので、帰りは寝台を予約しに駅に戻りました。

人で溢れています。
列を作らない民族なので、並んでいても一向に順番は回ってきません。
中国人の窓口で買うのは諦めて、外国人窓口へ。
外国人には高く売る国なので、切符も高いんですよ。

切符を調達し、紹介された黒龍江大学へ。
バスを乗り継ぎ、降りてからもだいぶ歩いた気がします。
構内が広いですから。

受付はちょっとしたホテルのフロントのようです。
見た目綺麗だし、部屋もT州の寮より小奇麗です。
寒い地方なだけに、窓が二重。
30センチほどの空間が窓と窓の間にあって、空気の層を作ります。

この部屋、蛇口から水が漏れまして、大変だったのですが、それさえなければ完璧でしたね。

食堂では、ロシア人と思しき数人。
学生はみんないなくなっている時期なので、先生かな?

大きな荷物を置き、街を散策に行くことにしました。
外はマイナス15度くらいだったと思います。
目的は、冰灯节だったので、夜まで街をふらふら。
ものすごい厚着をしていきました。
夜はたぶん、マイナス25度くらい。
「今年は温かい」といろんな人が言っていました。
我々には十分寒い。

持参したバナナ、釘が打てるほどには固まらず、皮が真っ黒になっただけでした。


さ、いよいよ冰灯节の会場へ。

ハルピン旅行


続く・・・








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2007-09-15(Sat)

北京のケンタッキー





マクドナルドより中国進出が早かったケンタッキーフライドチキン。
最初に降り立った上海の町にもあったので、中国というものを知らない私は、これが普通の光景だと勘違い。
・・・T州にはありませんでした。



で、1991年秋と、1992年冬に北京旅行に行ったとき、中国料理に飽きて入ったのは、ケンタッキー
まだマックはなかったですから。

ケンタッキー


ケンタッキーのカーネルおじさんもチャイナ服。









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2007-09-09(Sun)

バーミヤンの坦々麺




昨日グッチ裕三さんが坦々麺のルーツと美味しい坦々麺を求めて、四川省重慶を旅する番組をやっていましたね。


坦々麺て、そもそも労働者の為に天秤棒に麺の具や何やらを担いであちこち行って食べさせていたためにそういう名前になったとのこと。
1949年中華人民共和国の建国、文革と共に、自営業が認められなくなって廃れて行ったそうです。
担ぎ麺ではなく、お店だけど大繁盛したために、夫はつかまって殺され、妻も自己批判と強制労働という映画を、何度もテレビで見ました。
芙蓉鎮という映画。
きっとそういう時代だったんだろうな・・・と中国という国の過去に思いをはせつつ・・・


美味しそうな坦々麺
辛そうな坦々面。
食べたい!


近くのラーメン屋で一番イメージに近い坦々麺が食べられる店、バーミヤンに行ってしまいました。
幸楽苑もうさぎのラーメン屋も、あれは坦々麺じゃない。
といって、バーミヤンのもかなり違うんだけど、私のイメージとしては一番近いので。

昔武蔵藤沢にあった「頂好」という中華料理屋の坦々麺は、かなり辛くて美味しかったですが。
妊娠中食べて、お医者さんに怒られました。


バーミヤンの坦々麺
辛肉味噌とオレンジ色のスープ。
なかなかいいよ。
でも辛くない、トホホ。

中国で食べた坦々麺は、ただでさえ辛いスープ、各テーブルに茶碗に山盛りの粉唐辛子が置いてあり、勝手にそれを掛けて食べるのです。
お好みで。
周りにつられてかけたら、辛いの辛くないのって。
顔から頭から火を噴くかと思った。

グッチさんが、辛いの食べて
「頭の毛全部抜けるかと思うほど辛い」
と言ってたの、あながち極端とも言えない、私にはわかるよ、それ。

バーミヤン麻婆豆腐も食べてみました。
辛くない、トホホ。


マーでもラーでもないよ。

チェーン店ですから、日本人の舌にあったほどよい味になっちゃいますよね。




今度麻婆豆腐を作るときは、山椒もたっぷり掛けてみよう。
痺れる辛さ。









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2007-09-08(Sat)

餃子の調味料




カルフールでウェイパーが安かったので、まだあるのに買ってしまいました。
もう一つ。
具入りラー油

(うーん、これではなかった気がするけど・・・)

餃子のとき、ラーメン屋のようなラー油で食べたい、と思っておりました。
自作すればいいのでしょうが、保存が・・・
唐辛子など粗削りな具が入っていて、辛そう。
次回の餃子、食べるのが楽しみです。


ところで、本場中国では、餃子はゆでて食べるということは有名ですが、ニンニクが本体に入っていないということはいかがでしょう。
餃子好きなら知っているかな?
で、餃子を食べるとき生ニンニクの皮をむきながらかじるのが本場流。
ニンニクの皮は、見るも無残にテーブルの下にこぼれ落ち、汚い食堂の出来上がり。
汚い方が旨いというのは、そういうことか?
食べに来る人がたくさんいると。


日本でやったら顰蹙ですね。
家でもできない。







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写真提供:ホットペッパー.jp上海人シェフの本場中華料理&飲茶横濱紅雲餃子房 大宮店予算2000円 - 56席 - JR大宮駅西口(駅前)丸井大宮店7F

2007-09-02(Sun)

1992年北京マクドナルド




妙なものを取っておいた私。

先日書いた北京マクドナルドのメニューチラシがアルバムの中に挟まっていました。

マックメニュー


「可口可楽」が「コカコーラ」だというのは知っていましたが、「シェーク」を表す文字が「昔」だというのは、改めて知りました。

各商品の値段までは覚えていないんだけど、我々日本人にとってはたぶんどうということ無い値段でも、当時の中国人には高嶺の花だったんじゃないかと思います。


ウォーリーがいっぱい・・・
と感じたカウンターの中、
マックカウンター


これじゃよくわからないですね。
実際は、店員さんの縦じまのユニフォーム姿が、ものすごくうじゃうじゃ感じました。








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2007-09-01(Sat)

松井5敬遠




先日の「神様が創った試合」に引き続き、高校野球の本を読みました。


甲子園が割れた日

1992年夏の甲子園、あのヤンキースの松井が5打席全て敬遠された試合。



星陵対明徳義塾
日曜日だったので、たぶん見ていたと思いますが、何しろ中国留学から帰国して約1ヶ月の頃。
仕事にもすぐ復帰していたし、いろんなことが重なって、あまり記憶が鮮明ではありません。
4打席目、5打席目くらいはなんとなく思い出します。



5打席全て敬遠されて、一躍全国の野球ファンではない人にも名前が知れ渡った感のある松井。
一番すごいと思わせたのは、その冷静な表情だったのではないでしょうか。
バットを振らせてもらえない、普通ならクソボールを空振りしてでも「打たせろ」と意思表示するような場面でも、全20球、黙って見送ったところ。


敬遠した方のピッチャーとしては・・・
同じ高校生、稀代のバッターと男と男の対決をしてみたくはなかったのか、本当は敬遠なんてしたくなかったのではないのか。
明徳という学校、間淵という明徳の監督の経歴、そして、マウンドにいたのが本当のエースではなく背番号「8」の河野だったからこそありえた5打席敬遠だったとわかりました。


高校生離れというより日本人離れした松井との対決を避けさえすれば勝てる地位にいた明徳。
星陵より弱いチームは、松井を避けても他の選手にやられるとわかっているから、仕方なく松井と勝負せざるを得なかった。
その辺の強さの違いもからんでくる。


星陵の山下監督は、高校野球一筋のしかも教科を教える先生です。
山下監督の中には、「そこまでして勝つものではない」というような美学があったと思えます。
一方、明徳の間淵監督は、社会人野球監督から転身の職業監督。
「勝ってこそ」という美学を持っていたような監督。


実質エースではあっても、所詮背番号「8」のピッチャーだった試合。
他校のエースたちが「たぶん勝負したと思う」と言う中、当の本人は、何の不満もなく監督に指示に従っています。
抑える自信がないというより、そういうものだと思っているフシのあるところが、5敬遠を実行させたのでしょう。


全ての要素が、松井5敬遠につながっていたのです。


当の松井は、テレビのインタビューでこう言っているそうです。

あの当時の松井秀喜は5敬遠する価値のあるバッターではなかったと思っているんですよ。勝負しててもね、打ったか、打たないか、わからないですからね。松井秀喜は5回敬遠されたことで伝説のバッターになってしまったんです。甲子園ではね。


だから松井は、5回敬遠されても不思議ではなかったと言われるバッターにならなければいけないと、思っていたのではないかと。

あの試合は、箕島星陵戦のように感動するゲームではありません。
でも、世界の松井を生むためには、欠くことのできない試合だったかもしれないと、今にして思います。


あの試合の関係者の中で、一番かわいそうだったのは、投げたピッチャーでも、指示した監督でも、松井本人でもなく、松井の後5番を打っていた月岩だったようです。
彼が打っていれば、星陵は勝ったかもしれないし、明徳はへたな采配で負けたと軽蔑されたかもしれないし、松井伝説もなかったかもしれない。


それにしても、松井の凄さは、バッターボックスの中だけじゃないというのがわかりました。
小6のとき既に172センチもあったという体格、中学校のとき心身ともに他の選手と違うことを見抜いて指導した高桑監督(箕島戦のときの星陵のマネージャー)、そして山下監督と星陵に育てられたこと。
日本の宝、世界の野球界の宝、松井秀喜は、こうして作られたのか、と思います。

松井は世間の常識をちゃんとわきまえている野球選手だそうです。
あれだけ有名で凄い人なのに。
少年少女には悪いけど、努力だけじゃ松井みたいにはなれないな、と感じます。
「自覚」もプラスしないと。


ますます松井のファンになりました。
明徳の試合も、次回から見方が変わりそうです。

ぜひ行ってみたい松井秀喜 ベースボールミュージアム





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